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Oct 24, 2023/Interview

すべては正直という北極星のもとに
── 高級ハサミHASA誕生の舞台裏

日本を代表する文房具メーカーのコクヨ株式会社が発売した同社初のハサミのフラッグシップモデルHASA世界的なデザイン賞であるiFデザイン賞グッドデザイン賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けていますその開発はコクヨとTakramによるきめ細かなリサーチから始まりました見せかけの機能や造形を追わないデザイン使い手とハサミというツールの正直な関係に焦点を当てたHASAのコンセプトはどのようにして導き出されたのか
Credits:
Photography:
  • Tomoyasu Masuda
Text:
  • Asuka Kawanabe
8min read
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誰の家にも1気がつけば数本あることも不思議ではないほどわたしたちの生活に浸透しているハサミそのなかでも丁寧な暮らしや道具にこだわりたいユーザーにとってベストな選択肢となるようなハサミがあるとしたら一体どんな姿をしているのでしょう それを追求することからコクヨ株式会社とTakramとのプロジェクトはスタートしました

今回Takramにプロダクトデザインとブランドコンセプトの構築を依頼したきっかけはコクヨデザインアワードで審査員を務めていたTakram代表の田川欣哉の研修だったとHASAの開発担当者であるコクヨのグローバルステーショナリー事業本部の藤谷慎吾さんは振り返ります

クライアント企業をいかに良くするかという視点に立ったお話をされていていつかTakramと一緒に仕事をしてみたいと思ったんですフラッグシップモデルをつくるにあたり技術もデザインもわかる会社という点も決め手でした藤谷さん

ユーザー市場に耳を傾けてハサミを知る

有形無形問わずさまざまなコトモノのデザインを手がけてきたTakramですがハサミをデザインするのは初めての試み

プロジェクトのディレクションを担当したTakramのインダストリアルデザイナー田中尚はプロジェクトが始まる前からハサミというプロダクトの在り方の難しさを感じていたといいます

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左からコクヨ藤谷慎吾さんTakram田中尚中森大樹

ハサミの良さは外観や言葉だけではわからない実際に手に取り使ってみて初めてその良し悪しがはっきりわかります良いハサミをつくるなら理屈以前にそのジャッジのなかで良いと思われるものにしなくてはいけないまた長い間基本的な設計が変わらない道具でもあり新たなコンセプトや考え方をまとめ上げるのも難しいデザインの難易度が高いと感じました田中

田中と共にプロジェクトに携わった同じくインダストリアルデザイナーの中森大樹もハサミは形状がそのまま機能になるしスタイルにもなる人が直接手に持って使うものなので身体の一部をつくるような作業になるのかなと思いましたハサミというツールならではのハードルの高さを感じていました

難題に挑むにあたりコクヨとTakramのチームはまず共同でリサーチを始めましたリサーチ段階から他社と一緒に取り組むのはコクヨにとっては珍しいケースだと藤谷さんは言います

今回のリサーチのプロセスは大きく分けてふたつひとつはTakramの多くのプロジェクトで行なわれるエグゼクティブインタビュー今回のプロジェクトをどのように捉えているのかそしてコクヨのビジネスにおけるこのプロジェクトの立ち位置についてをステーショナリー部門のエグゼクティブの方々にヒアリングしていきます

もうひとつはユーザーを対象にしたリサーチユーザーがどのような課題を抱えどのような道具を必要としているのかを見極めていきますとはいえ対象となるプロダクトは長い歴史をもちすでに飽和状態ともいえるハサミ市場新しい知見を得るためには視点を変えながらの細かなリサーチが必要です

ユーザーを対象にしたリサーチでは実際にターゲットユーザーの自宅にうかがい日常生活全般商品や道具との向き合い方などのヒアリングや室内の道具の扱われ方などのフィールドリサーチを行ないましたハサミを取りに行くところから使い終わるまでの一連のプロセスを実演していただき動画に収めどのハサミが何の目的で使われているかどういうハサミがどういう場所に置かれているかなども調べました

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ハサミは誰もが使う道具ではあるのですが今回は丁寧な暮らしや道具にこだわる方がターゲットなので彼らのライフスタイルをどこまで知れるかがポイントでした田中

ターゲットの家庭ではさまざまな場所にさまざまなハサミが置かれており家から10本以上のハサミが出てくる人も少なくありませんでした

当然ながら同じハサミがいっぱいあるわけではなく用途に応じて使い分けていたんですそれぞれの場所で淘汰が起きていて使いやすいものが残っているそれがとてもおもしろかったです田中

言葉にならないニーズを拾う

普段のリサーチではユーザーにインタビュー会場まで来てもらうことが多いと語る藤谷さんしかし実際に自宅を訪問すると思わぬ収穫があったと語ります

例えば黒が好きとおっしゃった方がいたとしてもどのくらい好きなのかが会場だとよくわかりません実際に家で使われているものと一緒に見ていくことでそのバックグラウンドも見えるというのが大きかったですね藤谷さん

またインタビューでは市販のハサミを並べて許せるハサミ許せないハサミに分けてもらう調査も行ないましたユーザーが言語化しづらいスタイルの好みや許容範囲を明らかにするためです

同じハサミを数年数十年と使っている方が多いなかで長期間にわたって家にあって許せるかどうかという点はスタイリングの大事なポイントになりますこの仕分けで外観や素材の方向性が決定づけられることになりました田中

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ブランド構成要素検討の図

ちなみに今回はターゲットである使うものにこだわりをもっている人だけでなく逆にハサミにこだわりのない人へのリサーチも行ないましたハサミにこだわりのない人たちは安価なハサミを買い切れ味が悪くなったらすぐ買い替えるという方法をとっていたことがわかり好みのスタイルは今回のターゲットユーザーのそれとは大きく異なるものであることもわかりましたこのように今回のターゲットと異なるユーザーへのリサーチも行なうことで今回のハサミで取り組むべきことそうでないことの違いがクリアになりました

「『高価格帯のラインをつくりたいせっかく高価格なら性能が高いハサミをつくりたいという最初のお題からリサーチを通じて解像度が高まっていきました藤谷さん

こうしたリサーチの結果浮かび上がってきたコンセプトが正直でした

ほかにも古い親友信頼できる謙虚真面目淡々とした理論的必然性誠実愚直というようなキーワードがたくさん出てきていて最終的に正直という言葉に集約されていったんです田中

ではHASAは何が正直なのでしょう

まずは何よりもユーザーに対する正直さですこだわりがある人はしっかり調べてハサミを購入しそれを数十年使い続けることもありえるでしょうそうしたとき謳い文句に嘘があったら絶対にバレると田中は語ります

店頭で目を引く外観やメッセージは購入のフックになるかもしれないけれど20年だまし続けることはできないだからこそ買った後のことをいちばんに考え正直さに徹することが価値になると考えました田中

正直であり続けるためのデザイン言語という指針

次にデザインの正直さです

HASAのデザイン言語チーム内で共有するために形状や素材色といったデザインに関連する項目のルールをまとめたものを手がけた田中は見た目に必然性と愚直さを求めたといいます

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まず目指したのは毎日見ていても飽きない奇をてらわないスタイルにすることです田中

そしてハサミの構造と機能に対する正直さです刃というものの特性上あらゆるモノを同じように切れる設計のハサミは存在しえません刃の設計は必ずメリットとデメリットを生むからです

「『このハサミは万能ですこれさえ買えばなんでもOKですというコミュニケーションはハサミにおいて正直ではないのではないかと思いました田中

HASAシリーズにはシーンに合わせて3種類のハサミが誕生しましたグリップの形も3種類でそれぞれ異なりますが同じシリーズとして一貫して同じような使用感と外観のスタイルが保てるようハサミの面やライン断面の形状までもがデザイン言語で定義されています

シルエットこそオーソドックスですが実は面の動きや質感流れで使いやすさを担保しているんです中森

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左からHASA-003HASA-001HASA-002

HASALINE UP

HASA-001  段ボールが軽く切れる多用途ハサミ強力

刃渡り:70mm

全長:187mm

刃形状:カーブ刃

HASA-002 段ボールが一気に軽く切れる多用途ハサミ強カロング

刃渡り:85mm

全長:226mm

刃形状:カーブ刃

HASA-003 直線切りに適したストレート型ハサミ/工作用

刃渡り:70mm

全長:177mm

刃形状:ストレート刃

こうした正直さの基盤にあるのはマーケットのリサーチとユーザーインタビューでした例えばマーケットでは高価格帯になるほど特徴的な外観になる傾向があったり多機能になったりする傾向があったといいます一方でそうした過剰な意匠や見せかけの機能は今回のターゲットユーザーに対して響いていないということもインタビューから明らかになりました

またユーザーが家で最もよく使うスタメンのハサミはどれも奇をてらったスタイルではなかったと中森は振り返ります

リビングやダイニングのペン立てに入っていて家族全員が使うようなスタメンのハサミはここに来るまで淘汰を経ている感じがしましたそこに選ばれたものはどれも正直なものに見えたんですよね中森

こうして決まった正直というコンセプトをぶれないものにするためにチームは正直チェックリストなるものも作成刃の設計や加工からパッケージや情報開示に関するものまで9つの項目からなるこのチェックリストはHASAを形にしていくうえで常に指針となりました

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3Dプリンターで製作したプロトタイプの数々

形や内容が決まってからコンセプトを考えるという商品も多いなかでコンセプトをデザインの判断基準にするという考え方は面白かったですコンセプトがあったことでつくり込みや進行もスムーズでしたしほかのブランドでもやってみたいと思いました藤谷さん

その後多くの試作ときめ細かいユーザビリティ検証を経て出来上がったHASA-001のデザインとシリーズ共通のデザイン言語をTakramのチームはコクヨのチームに託しました

実はHASA-002HASA-003のプロダクトデザインはわたしが担当したんですデザイン言語は本来会社の資産といえるほどの価値のあるものでほかの会社ではまず出してもらえないと思いますそれをそのまま使えるなんて贅沢だと思いました藤谷さん

そしてその経験はハサミ以外の開発でも活かせそうだと藤谷さんは語ります

今回デザイン言語に関する資料はすべていただいたんですこういう考え方があるからうまく使っていこう社内の他のデザインチームに共有しました市場にある製品を仕分けする方法もさっそく次のプロジェクトで活用しました田川さんがクライアント企業が成長することがいちばんのゴールとおっしゃっていましたがその姿勢が現れていたと思います

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Sho Tanaka
Designer, Industrial Designer, Vision Designer, Project Director
量産レベルの製品デザインから事業ビジョンの構築まで手がけるデザイナー具体・抽象を横断した価値開発を得意とする高校時代にデザインの基礎と技能の習得に没頭東京藝術大学同大学院を修了したのち産業領域を横断したデザインを実践する場の必要性を感じ2010年東京にオフィスを構え独立自動車領域スポーツブランド食品ブランドオフィス機器医療機器デジタルコンテンツのUIなどメーカーとの製品開発・ブランド開発を中心に多岐にわたる経験を積んだのち15Takramに参加主なプロジェクトにHASAタムロンのレンズシリーズなどがあるあだ名はタナショー
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Daiki Nakamori
Industrial Designer, Project Director
素材・造形・構造の探索によるコンセプトの具体化を得意とするデザイナー東京大学大学院にて機械工学のちに千葉大学大学院およびミラノ工科大学で工業デザインを学ぶその後ダイキン工業株式会社でインダストリアルデザイナーとして企画から量産まで一貫して製品開発を担当2018Takramに参加またAATISMO名義でイタリア企業複数社の照明器具デザインも行うiF Design AwardRed Dot Design AwardKOKUYO DESIGN AWARD 2016 グランプリLEXUS DESIGN AWARD 2015 Prototype Winner等受賞主なプロジェクトにHASALOVOT CHAIRなどがある